高橋名人と僕 

 

 

 


構成・村城 充(語り・鶴見 和昭)

 

高橋名人との出会い

 僕が小学3年生の頃、その後の人生に大きな影響を与えたであろう、1人の大人物と出会った。ファミコン界が生んだスーパーヒーロー、『高橋名人』である。

当時はファミコンブームの絶頂期で、テレビや雑誌にファミコンの文字が出ない日はなかった。高橋名人は、そのブームの立役者と言っても過言ではない人物で、お馴染みの必殺技(?)「16連射」を引っ下げ、キャラバンなどの各種イベントやマスコミに登場し、人気は既に不動のものとなり、ゲーム少年のカリスマ的存在だった。

僕も例に漏れず高橋名人を見るや否や大ファンになってしまった1人で、以後、毎年キャラバンに通うようになった。その努力も実ってか、名人に顔を覚えてもらえるようにもなった。あの時の嬉しさは、とても言葉では言い表せない。

小6の時、毎日の寝ずの猛練習の末、「へクター '87」の決勝大会に進出。高橋名人にプロフィールを解説してもらうに至ったのだが、惜しくも敗れてしまった。同じく小6の時に再び行われたキャラバンに参加し、高橋名人が当時着ていたTシャツを直々にもらう。もちろんサイン入りの代物で、今でも大事に保管してある事は言うまでもない。

その後、高橋名人が登場するイベントはマメにチェックし、可能な限り参加するようにしていた。イベント当日は、少しでも高橋名人の近くにいたい一心で、一日中そばにくっついていたのを覚えている。高橋名人もさぞかし邪魔だったろうに、嫌な顔を1つせずに終始笑顔で振る舞ってくれていた。高橋名人は、ゲームが上手いだけではなく、そんな優しさも秘めた人物だったので、ますますファンになっていった。

もちろん僕のような熱狂的なファンは大勢いて、名人が参加するイベントは常に子供達で超満員だった。学校のクラスの仲間もみんなファンで、毎日、高橋名人とファミコンの話は尽きる事がなく、授業中でも高橋名人直伝の「16連射」をマスターするべく、机に描かれたコントローラーに向かって、連射の猛特訓をしていたのを覚えている。

僕にとっての高橋名人は、『ヒーローを超えたヒーロー』だったのである。

 

 しかし、高橋名人は僕が記憶していたよりも活躍時期がさほど長くなく、同時に彼をバックアップしていた雑誌が小学生をターゲットにしていた『コロコロコミック』と言うこともあり、熱狂的なファンのほとんどが小学生と、層はかなり限られていたようだ。

また、キャラバンなどのイベントの開催も頻繁に行われていたのだが、どうしても地方ではタイムラグが生じてしまい、地区によっては名前は知ってはいるものの、活躍に関してはあまり知らない人も少なくなかったようだ。僕達の世代や地域では、類を見ない程の人気者だっただけに、少し残念な気がすると同時に、軽いショックを受けてしまった。

そんな事もあるので、この辺で高橋名人を知らない方の為に少し説明したいと思う。

 

高橋名人誕生の瞬間

 

 そもそも、高橋名人がデビューしたのは、今から10年前の1985年3月15日の事。この日、銀座松坂屋の屋上では、「コミック祭り」というイベントが開かれていた。もちろん主催は、小学館の「コロコロコミック」である。当時、小学生を中心に絶大な人気を誇っていた雑誌のイベントだけに、瞬く間に会場は親子連れで埋め尽くされた。

そして、このイベントのプログラムの1つで、一人の青年がTVゲーム(ファミコン)のデモンストレーションを始めた。青年の名は『高橋利幸』。(株)ハドソンの宣伝部に在籍する社員で、彼が操っていたゲームは、自社からこの春に発売された「チャンピオンシップロードランナー」だ。

このイベント・プログラムは、新作ソフトの宣伝が目的だったのだが、観客の目は高橋氏に注目された。ゲーム好きの子供は当然の事ながら、親達も彼のデモプレイに釘付けとなった。TVゲームで遊ばない世代ですら、関心するほどのコントローラーさばきだったのである。デモプレイを終了後、イベントの司会者は、高橋氏を紹介した。「ゲーム名人の高橋さんです」。アナウンスが終わらない内に会場は拍手と大歓声に包まれ、彼の周りはサインを求める600人を超える子供達で溢れ返っていた。わずか数十分前まで無名だった26歳の青年は、もはやヒーローと化していた。ファミコン界初の名人、「高橋名人」の誕生の瞬間であり、数々の伝説の幕開けの瞬間でもあった。

 

 このイベントの企画発案&責任者であり、「コロコロコミック」の編集者、秋本輝夫氏(現:ゲーム情報誌「ゲームオン」編集長)は、当時をこう語っている。

『当時、「コロコロコミック」は、どこよりも早くファミコン特集を掲載していました。同時に、ファミコンブームを象徴するヒーローが必要なのではないかと思い、その感触を知る上の手探り的な仕掛けとして、この企画を立てました。軽い狙いはありましたけど、まさかこんなに凄い事になるとは思っていませんでしたよ。』

 後にこのイベントで手応えをつかんだ秋本氏は、ハドソンと組んでファミコンの教祖誕生を目論見始め、85年8月、夏休みを利用して全国を巡業する「キャラバン隊」が組織された。『正確には、この時から「ゲーム名人の高橋さん」ではなく、「高橋名人」という呼び方を意図的に使うようにしたのです。』とも秋本氏は語っている。

ゲームと言う、偶像の世界に生まれた、最初で最後の実在するヒーロー。それが「高橋名人」なのである。

 

 

名人誕生の意図

 高橋名人の誕生においては、今でいうところの「ゲーマー」よりも、メーカーとメディアの商業主義的思惑の方が大きかった気がする。つまりは、商品(ゲームソフト)の「宣伝」がメインなのである。

高橋名人と言えどもハドソンの社員であるので、自社のソフトを「宣伝」せねばならない。同時に、小学館とタイアップしているイベントを盛り上げ、成功させる「インストラクター」としての役割も果たさなければならない。最初はこの二つの使命を背負った出発だったようだが、その後「高橋名人」の名はマスメディアの力も借りて、商業主義的な枠を超え、子供たちのヒーローへと変わっていった。しかし、高橋名人の名は子供の世界だけに留まらないどころか、ゲーム業界の枠を超え始めていた。

 85年の12月22日に、晴海の国際貿易センターでハドソン主催のイベント「クリスマス・ファミコンフェスティバル」が開催された。この時、このイベントを取材に来た東京新聞社が、新聞全段を使って高橋名人を取り上げたのだ。「スーパーヒーロー出現」「Tシャツの兄ちゃんは教祖様」----翌日23日の東京新聞の朝刊は、子供たちに囲まれた彼の笑顔を載せて、大人の世界、つまり、社会事情として報道したのだ。85年の夏に誕生した「高橋名人」は、その5カ月後には、TVのレギュラー番組を2本も抱え、子供たちからのファンレターは1日50通を超えるという、下手なアイドル顔負けのヒーローとなったのである。後に、彼自らが主人公になったファミコン用ゲームソフト「高橋名人の冒険島」もリリースされ、約100万本のセールスを記録し、彼を主人公にした映画までもが3本も上映された。

 高橋名人が話題になると同時に、ゲーム業界には名人乱立の時代が、当然のように到来した。各メーカーがこぞって名人を打ち立てたために、最も多い時期では40人以上の名人が乱立したこともあったが、そのほとんどが自社の広報や営業の人間を間に合わせただけのインスタント名人だったため、宣伝の要素が多い人物ばかりで、子供のアイドルとは少しかけ離れた存在だったようである。そんな中でも、高橋名人のライバルとして同じくハドソンに在籍(大学生のアルバイト)していた「毛利名人」や、バンダイに在籍していた「橋本名人」は話題を呼んでいた方だろう。

 

 

その後の「高橋名人」にインタビュー

 

 デパートの屋上のイベントで、1人の青年、高橋利幸氏が「名人」となってから今年で丁度10年。高橋名人は今もハドソンの社員としてゲームに携わり続けている。彼の今の仕事はハドソンが発売するゲームのパッケージデザインやマニュアルなどを制作する、印刷物全般に関するディレクターだ。役職で言うと「広報部長」なのである。

 実は、今回この企画を始めるに当って、ダメで元々と高橋名人に直接取材のアポを取ってみたところ、意外とすんなりOK。しかも、社外取材も可能に。こちらのスタッフは、みんな高橋名人のファンだけに歓喜と緊張と不安が一編にやってきてパニック状態。各言う僕も、珍しく緊張気味。いざ取材となると、何を話せば良いのか迷ってしまう。10年前はちびっ子のアイドルだった高橋名人も、今は日本有数のソフトハウスの部長さんだからなぁ。とりあえず失礼がないようにしなくては。

後、緊張と嬉しさのあまり眠れない日が少々続く。久し振りに子供の頃の遠足前の気分を味わった。しかし、この時点でも聞きたいことがまとまっていなかったりもする・・・・。

 

 取材当日、スタッフと共に待合せ場所である都内の某所へ行く。現地で少々打合せをしている最中に高橋名人が颯爽と登場。はっ、早いっス。さすがはビジネスマン。時間には正確ですね。僕の身近の人間も見習って欲しいところです。しかし、まだ心の準備が・・・・。

 充 『こんにちは。村城充と申します。今回は突然の取材に応じて戴きまして、ありがとうござい

ました。』

名人『こんにちは。こちらこそありがとうございます。まぁ、軽く行きましょうよ。』

おおっ、全然変わってないぞ。高橋名人は、偉くなってもゲーム少年のアイドルだった頃の名人のままだ。この挨拶で今までの緊張が一気にほぐれた。やっぱり高橋名人は何年たっても凄い人だなぁ。

 充 『はじめまして・・・・ってのは適切じゃないか。お久し振りってのが正しいのかな? 小学生の頃、

キャラバンの度に名人に付いて歩いていましたんで。』

  名人『あっ、そう言えば何か見覚えあるぞ。何かの大会で優勝しなかった?』

 充 『いえ、決勝で敗れました。名人にはコメントを貰ったんですが。』

 名人『ヘクターか何かだったかなぁ。なんとなくだけど面影があるなぁ。』

 充 『そうです! ヘクターです!!まさか覚えていてくれているとは・・・・。メチャメチャ感激っスよ。

ファンの事は覚えているもんなんですか?』

  名人『当時のファンは熱狂的だったからね。都内のイベントには毎回来てくれた子もいたしね。こ

の子どこに住んでるんだろう?とかよく思ったよ。』

 充 『僕もその口ですよ。名人のイベントには必ず参加していましたから。』

 名人『僕も未だに結構取材を受けるけど、昔からのファンの取材ってのは少ないね。みんな社交辞

令で「ファンでした」とは一応言ってくれるけどね(笑)。』

  充 『僕はそんな似非ファンとは違いますよ。ビデオもちゃんと持ってますし、サイン入りの名人

が着ていたTシャツも持ってます。あ〜、今日はやっぱりそのTシャツを着て来ればよかった〜!!』

 名人『もう充分わかってるって。嬉しいから何でも聞いてよ。』

 充 『あ、ところで、今更なんですけど、今でも名人とお呼びしてもいいんスか? 高橋さんとか、

高橋部長とかの方が良いのでしょうか?』

 名人『ほんとに今更だなぁ(笑)。好きに呼んでよ。』

 充 『じゃ、名人で行きますね。やっぱり名人は名人ですもんね。』

 名人『なんだかなぁ(笑)。』

 充 『最近、メーカーから名人とかって出てきませんよね。どうしてですかね?』

 名人『ストリートゲーマーっていうか、そういう人の方が上手いからじゃないの? メーカーの人間

じゃ太刀打ちできなかったりさ。』

 充 『確かに。最近の若い奴らは上手いですからね。ゲーム。』

 名人『君も充分若いって(笑)。充君は最近は大会とかには出てないの?』

 充 『最近は出てませんね。近ごろのゲームは格闘ばかりでちょっと・・・・。』

 名人『そうだなぁ。今は格闘がメインだからね。』

 充 『格闘界には「鉄人」ってのがいますが、あれはまた別だしなぁ。』

 名人『でも、そのうちまた出て来るかも知れないね。』

 充 『ミニ四駆のファイターなんかは名人に近い存在ですよね。子供たちからの支持も厚いようで

すし。あと、最近流行りのビーダマンとか・・・・。』

 名人『おっ、さりげなくハドソンの宣伝。やるな(笑)。』

 充 『最近ふと思ったんですけど、名人ってプロ・ゲーマーの事なんですか?』

 名人『いや、僕はまったく違うものだったと思っているよ。』

 充 『じゃあ具体的に名人とはどんな存在だったんですか?』

 名人『そうだなぁ。僕らはゲームを面白く見せる人間だったんだよ。最大の目的は自社製品のアピ

ールだろ。その為には製品の魅力を知らなくてはいけないし、自分もその製品に惚れ込まなくてはいけない。好きでない物や面白くない物は人に、特に子供達には薦められないからね。』

 充 『確かに、その通りっス。どこぞのメーカーも見習ってほしいですね。僕も子供の頃、一生懸

命貯めたお金で買ったゲームがクソゲーだった時は、メーカーに火を着けに行こうかと思いましたからね。マジで。』

 名人『危ない奴だなぁ。ウチ(ハドソン)じゃないだろうな。』

 充 『ハドソンさんは全然違いますよ。ハドソンのソフトは、どんなに斬新なソフトでも絶対に楽

しめますからね。子供過ぎず大人過ぎずも知っている、優良メーカーですよ。仲間内でも、マジで評判良いですから安心して下さい。』

 名人『ありがとうございます(笑)。』

 充 『でも、またいつか往年の名作のオムニバスでも出して下さいよ。SFCのキャラバン・シュ

ーティングコレクションみたいなやつを。』

 名人『あの企画は僕だったんだよ。』

 充 『あっ、やっぱり。で、評判の方はどうでしたか?』

 名人『評判の方は良かったんだけど、売上げの方は・・・・。』

 充 『ありゃ、失礼しました。僕は大好きだったんですが・・・・。話を元に戻しましょう。で、名人

は自社ソフトの面白さを世に広める事が最大の目的だったと。社員である以上、それは社会的なヒーローになろうと変わる事はないですからね。』

 名人『ま、それが第一の使命だったからね。』

 充 『ゲームを面白く見せながらも、大会では常に最強でなくてはならないと。いやはや大変な世

界ではありますね。』

 名人『いや、何て言うのかな、僕はあまり強さは求めなかったんだ。もちろん子供達に負けるわけ

にはいかなかったけどね。』

 充 『と、言いますと?』

 名人『例えば敵を撃ち落とすゲームでも、敵が登場したと同時に撃ち落としちゃったら画面として

絵にならないでしょ。8機編隊で輪を描いて攻めてくるシーンがそのゲームの見せ場なら、そこまで待ってから撃ち落とす。それは単純に勝つとか点数上げるだけよりも難しいんだ。』

 充 『なるほど、そう言えば当時、名人は何故あの敵をすぐ撃ち落さないんだ?と思った事があり

ましたが、意図的なものだったんですね。』

 名人『失敗したり負けたりするシーンが絵として面白いなら、場合によっては演出としてわざと負

けてみせなくてはならない。』

 充 『あ、それでたまにデモプレイでやられていたりした訳ですね。名人があまり難易度の高くな

い場所でやられたりすると、ひょっとしたら今日の名人は体調が悪いんじゃないかとか、実は僕の方が上手いんじゃないかとか思った事がありましたが、総ては計算のうちだったんですね。それでも子供は名人の活躍を応援していたんですから単純ですよね。もちろん僕もその1人だった訳ですけど(笑)。』

 名人『でも、たまに本当にやられた事も・・・・。』

 充 『あわわ。いいんですよ、子供は名人の手の上で楽しんでいたんですから。でも、そうなると

今で言うところのプロ・ゲーマーとは、ある意味で名人の対極に位置する存在なんじゃないですか?』

 名人『確かに、今のプロ・ゲーマーは舞台が格闘ゲームって事もあるんだろうけど、負けるのは絶

対タブーだよね。僕が格闘ゲームを仕事としてやるんだったら、勝つだけじゃなくて、相手にもワザを出させながらも、それを全部受けきってみせてゲームの面白さを見せなきゃならないんだ。ただ、それだとまず勝てない。』

 充 『そうか、確かに格闘ゲームには、削りや時間の関係もありますからね。格闘ゲームが面白く

なくなった理由は、強い奴が自分のペースのみで戦うからかも知れないですね。でも、名人が勝ちに徹したら強いのでは?』

 名人『それはわからないね。でも・・・・。』

 充 『でも?』

 名人『勝ちに徹してしまったら名人じゃなくなるんだ。僕らはあくまでも宣伝マンだったんだから

ね。』

 充 『名人は、コンピュータ(プログラム)の見せ場は盛り上げつつ、相手の持てる技を全部出させな

がらも負けてはいけない。尚かつ、プレイを見ている人には、極端な難しさや簡単さを与えてはいけないし、興味を持たせなけねばならないと。言ってるだけでもメチャメチャ難しいですね。』

 名人『そう。それをやって初めて「名人」と呼ばれるんだ。』

 充 『僕が思うに、名人とプロ・ゲーマーってのは、「名刀」と「ピストル」の差だと思うんですよ。』

 名人『と言うと?』

 充 『どちらも相手を倒す事を最大の目的としていながらも、鍛えぬかれた名刀は見るものに感動

や魅了を与える事ができるじゃないですか。だけどピストルは違う。冷たい感じを与えるだけの鉄の兵器ですからね。まぁ、こんな事言うとピストルマニアやプロ・ゲーマーに怒られるかもしれませんが・・・・。』

 名人『すごい例えだなぁ。』

 充 『実は某漫画の受け売りなんですけどね(笑)。』

 

 充 『あっ・・・・!!』

 名人『何?どうしたの?』

 充 『こんな所(充のポケットの中)に「連射測定マシン」が!!』

 名人『何故そんな所に・・・・って、随分わざとらしいな(笑)。』

 充 『と言う事で、是非お願いします。』

 名人『なんだそりゃ。でも、久し振りだからどうかなぁ。』

(と言いつつ、測定開始。もちろんおなじみの痙攣打ち。マジでダダダダダ・・・・と凄い音がし、数秒後に測定終了。)

 充 『げっ、秒間13連射。最近、連射はあまり珍しくないですけど、こすりを使わないで13連

射は凄いですよ。慣れればまた16連射も可能なのでは?』

 名人『どうかなぁ。』

 充 『どこの会社にも、こんな記録を出せる部長さんはいませんって(笑)。しかし、高橋名人の生の

連射をこんな近くで見られるとは・・・・。生きていて良かったっス。』

 名人『大袈裟だなぁ。』

 充 『この調子なら、まだ連射でスイカを割れそうですね(笑)。』

 名人『割れねぇ〜よ(笑)。』

 充 『じゃぁ、最近はスイカを相手に連射の練習はしてないんですか?』

 名人『昔もそんな練習してないって(笑)。あれは、スイカの中に空気を送りこんで膨張させるってい

う仕組みだったんだけど、中々上手く割れなくってね。10回くらいNGを出したかなぁ。懐かしいなぁ。』

 充 『へぇ、そうだったんですか。じゃぁ、今でも車くらいは指1本で止められるんじゃないです

(笑)?』

 名人『止められねぇ〜よ。スイカより無理だって(笑)。あれは、車じゃなくてバイク!! だけどさ〜、

あれは本当に恐かったよ。スタント無しでやったからさ。ジャッキー・チェンみたいに。』

 充 『え〜、スイカもバイクも特撮だったんだ。知らなかった。子供の夢が・・・・(笑)』

 名人『嘘付けぇ〜!!』

 充 『あの映画って、「ゲームキング」でしたよね。何か、妙にアクションシーンが多かったですよ

ねぇ。あっ、今思ったんですけど、ジャッキーのカンフーも観せる事がテーマですよね。その点は名人と同じですよね。』

 名人『そうかなぁ?』

 充 『映画の撮影って、大変じゃありませんでした?』

 名人『台本やセリフを覚えるのが特に大変だったなぁ。』

 充 『名人は漫画にもなりましたよね。コロコロで連載してた「高橋名人物語」。あれは本当の話だ

ったんですか?』

 名人『本当な訳ね〜だろ!!』

 充 『あっ、やっぱり(笑)。そうですよね、本当だったら恐いですよね。お腹が空いた時はトカゲの

しっぽを食べてパワーアップしたり、セミを捕まえる時はウンコを投げたり。牛のウンコで料理を作ったりもしてましたもんね。』

 名人『人間じゃね〜よな。あれ(笑)。』

 充 『そう言えば、一時期って結構名人が乱立していましたが、名人同士って連絡をとり合ったり

はしなかったんですか?』

 名人『無かったね。一応みんなライバル企業の人間な訳だし。』

 充 『ごもっとも。じゃぁ、名人同士の同窓会とかは・・・・。』

 名人『ないない(笑)。』

 充 『今度僕が企画してみようかなぁ。みんな今頃何やってるんでしょうね?』

 名人『業界に残っている人は、かなり出世しているようだよ。橋本名人とか・・・・。』

 充 『橋本名人は、スクウェアのPSラインの広報課で、バリバリ仕事を熟していると聞いた事が

あります。まだ、あの眼鏡とか蝶ネクタイは着けてるんですかね?』

 名人『眼鏡はともかく、蝶ネクタイは着けてないんじゃないの(笑)?』

 充 『橋本名人の眼鏡って、伊達だったんですかねぇ?』

 名人『いやぁ、あんな変わった赤い眼鏡なんか売ってないんじゃない?多分、伊達だろうね。確認

した事ないけど。』

 充 『毛利名人はファミ通の編集部員として頑張っているようですしね。』

 名人『当時の名人で、今もメディアに顔が出ているのは彼だけかもね。』

 充 『最近ゲームが立派に社会的地位を確立しましたよね。昔はどちらかというと嫌われていた分

野だったじゃないですか。漫画もそうだけど。』

 名人『そうだね。親やPTAには嫌われていたかもね。』

 充 『ゲームが認められたのは、やっぱり名人の登場が大きな影響を与えたと思いますよ。子供の

遊びだと思われていたゲーム業界に大人が出現した、みたいな。』

 名人『そうかなぁ?』

 充 『僕も名人をネタに、親からよく注意されましたから。「名人も“ゲームは1日1時間”って言

ってるじゃないの。早くやめなさい。」って。』

 名人『あれはそれが狙いだったんだけど、他のメーカーから苦情が絶えなくてねぇ〜。「商品売らな

きゃいけないメーカーが、そんな事言ってどうする。」とかね。』

 充 『その辺が大人の世界の難しい所ですね。子供は「名人、何て事言うのさ!」って思っていた

かも知れませんね(笑)。僕は割と守っていた方ですけど。』

 名人『本当か(笑)?』

 充 『でも、高橋名人が今時のオタクっぽい人だったら、一般受けしなかったかも知れませんね。』

 名人『いかついからな。俺は。』

 充 『ところで、名人。この後何か予定とかって入っていますか?』

 名人『いや、何も。』

 充 『じゃぁ、街の方にでも出ましょうよ。一緒に遊んで下さいよ(笑)。』

 名人『いいよ(笑)。』

この後、街を少し歩いたのだが、通り過ぎる人は「高橋名人」の存在に気付かないようだ。年配の人ならともかく、同世代やゲーマー風の奴までもが気付かないとは何たる事だ。ここで僕はある実験を試みる事にした。

 充 『名人。申し訳ないですけど、少し前を歩いて下さい。』

 名人『?』

さて、実験開始。名人の少し後ろから駈けよりながら・・・・。

 充 『めいじーん!!』

 名人『??』

むっ、3人程が振り返ったぞ。でも、まだ甘いな。じゃ、今度はパターンを変えて・・・・。

 充 『高橋名人〜!!』

おっ、今度は結構な人数が振り返ったぞ。向こうの2人組の男達は、何やら話しながら、ずっとこっちを見てるぞ。

 充 『やっぱり知っている人は知っているもんですね、名人。今度は「ハドソンの高橋名人」とか、

「ゲームキング」とかで行きましょうか?』

 名人『恥ずかしいからやめろって。』

しばらく歩くとゲームセンターが現れた。

 充 『名人!ゲーセンですよ。ここはゲーム産業の生の情報を仕入れるため、少し寄って行かねば

なりませんね。』

 名人『なんだよ、それ。充君、強引だなぁ(笑)。』

 充 『友人にも良く言われます(笑)。あっ、名人、プリクラを発見!一緒に撮りましょうよ。』

 名人『はい、はい。』

名人との貴重なショットを撮り終え、シールを半分個する。

 充 『名人、いい事考えました。今度、ハドソン・バージョンのプリクラを作りましょう。ボンバ

ーマンやハチ助のフレームとかを作るんですよ。もちろん高橋名人と一緒に撮れるフレームも入れるんです。どうですか?』

 名人『今度、企画に話しておくよ(笑)。』

ゲーセンで少し遊んだ後、外に出た。すると、今度はカラオケBOXを発見。名人の許可を(強引に)得て、カラオケをする事になった。

 充 『名人の歌声を生で聞ける時が来るとは・・・・。嬉しいなぁ。』

 名人『じゃ、充君、どうぞ。』

 充 『ダメっスよ。今日は名人の歌声を聞きに来たんですから。じゃ、僕がリクエストしますね。

え〜と。』

と言いつつ、メニューをペラペラとめくる。

 充 『名人!大変です!!この店、名人の名曲「ランナー」が入ってないですよ。責任者を呼んで来ま

すんで、少し待っていて下さい。』

 名人『あるわけね〜だろ。責任者なんて呼ぶなぁ。』

 充 『何て心の広い方なんだ。ああっ、名人!「バグってハニー」もないですよ!!ここはやはり責任

者を呼んで、きっちり話を着けない事には!!』

 名人『だから普通ないって。しかし、お前、マニアックだな〜(笑)。』

こんな感じで盛り上がり、カラオケが終わる頃には真夜中になっていた。もちろん終電などはとっくにない。それでも負けずに、遊び続け、取材の締めくくり(?)の牛丼を食べ終わる頃には、空は明るみかけていた。

 

 充 『今日は本当にありがとうございました。何か無理矢理付き合わせてしまったようで、気が引

けます。』

 名人『気が引けるの意味、知ってる(笑)?』

 充 『名人、最後に一つ。名人は再デビューとかは考えていないんですか?』

 名人『今のところ予定はないなぁ(笑)。』

 けれども名人の瞳の奥には、今も「名人」としての誇りが確実に息づいていた。それは、彼の名刺に記されたインターネット・アドレスの「MEIJIN」の6文字もはっきりと語っている。高橋名人は、今でも現役の名人なのだ。

 今回は本当に楽しい一日を過ごさせてもらいました。一生の思い出になったと言っても、けっして大袈裟な表現ではないだろう。

 終始笑顔で取材(?)に応じてくれた名人は、10年前のちびっ子のアイドルだった名人の、みんなから「名人、名人」と慕われていた「高橋名人」のままだった。名人の全然変わっていない姿や優しさやパワーに、改めて尊敬すると同時に、惚れ直しもした。

名人は、昔も今も今後も名人であり続けるような気がして、安心した。

 今回、唯一の心残りは、コピーの話ができなかった事。ソフトメーカーさんの部長だから無理もないけどね。コピーなんかされて一番被害があるだから、ピーコ系マニアだなんて、とても言えなかったよ〜。名人、ごめんなさい。

でも、色々と裏話は聞けましたよ。どれもオフレコなんで、書けないのが残念です。

 

 最後に、携帯電話の番号を教えてもらったので、また是非とも遊んでもらいたいのですが、何かと忙しそうな方だからなぁ。またチャンスがあったら、取材と称して遊んでもらおうっと!!

 以上、村城充。21歳、最高の夏の思い出でした。

 

炎の名人烈伝

 

高橋名人・・16連射で世間を席巻した伝説の名人

 

  高橋名人はコロコロコミックやテレビ番組等で子どもたちに当時絶大な人気を誇っていた。(私も尊敬していた)彼の出世作は「スターソルジャー」で16連射を武器として大ブレイクした。                       それ以前は「ハドソンの高橋さん」と言った感じだった。高橋氏は、自社製品を生でアピールしたいが為に必死に営業努力したら驚異?の連射術を身につけたとか。今どき連射術ができるサラリーマンは珍しくないけど、「ゲーム機は子供の領分」の風潮が今よりも数段強かった当時では、彼の存在は異色だった。高橋氏が、同業他社の名人を圧倒したのは、先陣を切ったこともありましょうが、何よりも「頑張っていたら、いつの間にか名人になった」と過程があったせいだと思われる。つまり、実力に裏打ちされた名称だった。他社の場合は、なんか対抗上取りあえず出したって感じを受けた。ほかに、彼の外見がなんとなく子ども好きそうなのも人気の秘訣だったのでは、、、

つい最近、ようやく"名人"を退位した高橋氏は、晴れて部長に昇格したらしいです。先日も「ゲーカタII」で「ボンバーマンビーダマン」の紹介の時に登場していました。                             

高橋名人についてはFC全盛期にハドソンとかから半生記みたいな本がいくつか出てたのを読んだ覚えがあります。ハドソン入社のいきさつとか(元八百屋だったのかな?店先の声のデカさを社長が気に入ってスカウト。入社の日にいきなり「東京に行け」と言われてとんでもない会社に入ったと思った…みたいな事を覚えてます。名人全盛の頃は余りの多忙さにユンケルが2日1本→1日1本→1日2本→…と増えてこれ以上多忙だと本当に身体を悪くしてしまうと本気で思ったとか、オッカケの少年の思い出話とかもあったような気がします。本の名前は忘れました。申し訳ない(^^)ゞ

人気絶頂だった高橋氏でしたが、一度警察沙汰になったというデマが、全国に飛び火し、えらく大騒ぎになったことがあります。ご本人も、相当嫌な思いもされたでしょう。

「高橋名人が、警察に捕まっちゃうって嘘だよね?」と当時の純粋な少年達による、声を涙に震わせながらの問い合わせの電話がハドソンさんの方へ殺到したとかなんとか....。人間有名になると、ワイドショー効果とでも言いましょうか、とんでもないところから、とんでもないことを言われることが、多々ありますが、相手が子供達だけにハドソンさんも相当苦労なさったと思います。

高橋名人のあのウワサの発端ですけど、確か当時のファミマガにもちょこっとだけ記事が出ていた記憶があります。何でも、高橋名人は当時とある警察の一日署長を務めたそうで、それが「高橋名人が警察に呼ばれた」という話から「高橋名人が逮捕されたらしい」ということになったらしいですね(^^;。

そーいえば、このウワサの「逮捕された理由」って、「ジョイスティックのボタンにバネを入れてたから」じゃありませんでした?今考えてみると、何でボタンにバネを入れたくらいで警察に逮捕されなきゃならないのだ。だいいち、ボタンには最初っからバネがついてるでしょーが。しかし、そのような判断力が当時の私にあるはずもなく、そのウワサを信じきってしまった幼い自分は、このウワサをさらにいろんな友達に話し廻ったのでありました(^^; 高橋名人、ゴメンナサイ。

 

毛利名人・・高橋名人と対決した伝説の名人

 

  毛利名人も当時高橋名人と並ぶ知名度の高さで人気がありました。現在でも「週間ファミ通」の4コママンガに登場しています。毛利氏の最大のヒット作は映画「高橋名人 VS 毛利名人」でしょう。              

「高橋名人 VS 毛利名人」はアニメビデオ「スーパースターソルジャーの秘密(だったと思う(^^;))」の末尾にオマケで付いていました。以前拝見したところ高橋名人が指一本で走ってくる車を止めたり(ムチャナな、、)想像を絶するトレーニングを行っていたのが印象に残っています。

毛利氏については「ドンキーコングJR」と「ドンキーコングJRの算数遊び」のカップリングされたカセットを持っているというのを数年前のファミ通のプレミアム特集の記事において毛利名人が”金では売れん秘蔵の一品として紹介していたことが有ります。

 

橋本名人・・ポケットザウルスを強烈にプッシュしていた名人

 

ファミコン名人といえば高橋・毛利両名人のほかに「第3の名人」橋本名人の存在も忘れてはいけません。橋本名人は典型的な「メーカーの宣伝用名人」で、ルックスはそこそこだった反面、腕前の方は「人前で披露した覚えがない」のでなんとも言えない(^^;)という人だったと記憶しています。

こういう「メーカーの営業がメディアに露出する為に自ら名乗った「自称」名人」はこの他にもこの時代にはたくさんいたように思いますね。名人ブームの終焉と共に見事なぐらいに消えてしまいましたが(笑)(今はセガ社VFの「四天王ウルフ」とかぐらいかなぁ、現存する名人って)橋本氏は「ポケットザウルス 十王剣の謎」をやたら宣伝していたような気がします。ファミマガではそのゲームを出す時に読者の中からアイデアを募集してまして、それで選ばれた7人とかの人と橋本名人でもってゲームをつくる、とそういう企画だったんですよ。ゲームの主人公は橋本名人という設定だったと思います。(赤い蝶ネクタイして眼鏡をかけてます)。「ポケットザウルス十王剣の謎」は死ぬとコンピューターに「何やってんの?」とかいわれる屈辱的なゲームで、主人公はポケットザウルスに姿を変えられたあの「橋本名人」です。えーと確か「ポケットザウルス」のストーリーは、「怪獣に姿を変えられた橋本名人が元の姿に戻るために姿を変えた張本人を倒す」みたいなのでしたよね?このゲームって売れたのかなぁ、、この橋本名人ですが現在はなんとスクウェアPSラインの広報の一人として、バリバリにご活躍中だそうです。余談ですが、当時橋本名人のメガネには度が入ってないダテメガネだという噂があったらしいのですが、真偽の程を知ってる人はいます?

 

求む!名人情報!

 

名人というと高橋・毛利・橋本の3名人が有名ですが、他にもナムコの河野 名人やテクモの辻名人、あと高橋名人の弟子的なキャラクターだった、ハドソ ンの桜田名人Jr、川田名人Jr、島田名人なんて方もいました。あと名人とは違 うけど「高橋名人の妹」なんてのもいました。光栄にも確か名人がいたような ……(大学の博士のような格好をしてた記憶が)。あと名人対策にヤンジャン から登場した、四天王や少年ジャンプのみや王、ゆう帝、きむ皇。鈴木みそさ んも過去は名人的ゲーマーでしたね。  あと、ファミッ子大作戦シリーズに出ていた名人数々やGTVで活躍してい たmr.X、カレー食うと強くなるファミスタ名人「インドマン」等.....。  これらの名人の詳しい情報、それ以外の名人の情報などを募集しています。